オクラホマ (お笑い)
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オクラホマとは北海道を中心に活躍しているローカルタレントのお笑いコンビ。
2人とも関西出身で北海道大学在学中にコンビを結成し、CREATIVE OFFICE CUEに所属。大泉洋ら先輩と共に北海道のテレビ・ラジオで活躍。また、TEAM-NACS約束公演「WAR~戦い続けた兵たちの誇り~」をはじめとする道内の演劇に出演するなど、お笑い以外にも活動の幅を広げている。
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[編集] メンバー
- 河野 真也(かわの しんや)- 1980年3月9日・大阪府東大阪市生まれ。本名同じ、血液型A型。私立東大寺学園高等学校卒業、北海道大学法学部中退。
- 藤尾 仁志(ふじお ひとし)- 1979年1月6日・兵庫県姫路市生まれ(公式HPなどでは姫路市出身となっているが、本来の出身地は兵庫県神崎郡)。本名同じ、血液型B型。兵庫県立姫路東高等学校卒業、北海道大学水産学部中退。
[編集] コンバート
「まんぴん」やM-1参戦を機に河野がボケで藤尾がツッコミだったのを、藤尾がボケで河野がツッコミをすることになった。コンビ結成時当時は見た目で河野をボケにしたものの、普段の仕事では藤尾がぼけていることが多いために、「実態に合う形にする」ということで異例のコンバートを行った。その際、河野は「よりツッコミらしくなるために」ダイエットに挑戦し、成功した。
[編集] 活動内容
[編集] コントライヴ
- 2002年6月19日~6月21日 「コンテナVol.1 TWO DOGS」(アトリエ・インディゴ演劇祭参加)
- 2002年10月4日~10月6日 「コンテナVol.2 オクラホマ殺人事件」
- 2003年2月27日~3月2日 「コンテナVol.3 THE MONEY」
- 2004年2月6日~2月9日 「ざんげLIVE 卒業式」
- 2005年7月16日・8月21日・9月25日 オクラホマ&大下宗吾ネタライブ「暗中模索五里霧中断崖絶壁四面楚歌一発逆転一心不乱九死一生漫才一芸」(略称・まんぴん)
- 2006年3月4日・3月5日・4月1日・4月2日 「まんぴん2006 若葉の頃」
[編集] 演劇公演
2人揃っての出演
- 2002年4月29日~5月9日 TEAM-NACS約束公演 「WAR~戦い続ける兵たちの誇り~」(※客演)
- 2003年5月23日~5月26日 モリプロ旗揚げ公演 「改FEVER~眺め続けた展望の行方~」
- 2003年10月10日~10月19日 水曜天幕團旗揚げ公演2003 「蟹頭十郎太」
河野のみの出演
- 2004年4月9日~4月11日 劇団イナダ組公演 「アレカラノコト」
- 2005年5月11日~5月15日 劇団イナダ組公演 「タンバリンマン」
- 2006年1月25日~1月29日 劇団イナダ組公演 「乃崎さんのついた嘘」
[編集] テレビ
- よるなび(北海道放送)
- おにぎりあたためますか(北海道テレビ)
- ドラバラ鈴井の巣(北海道テレビ)
- 1×8いこうよ!(札幌テレビ放送)YOYO'sジュニアオーディション司会
藤尾のみの出演
河野のみの出演
[編集] ラジオ
- 大泉洋のサンサンサンデー(HBCラジオ)
- オクラホマの北海道関西化計画(AIR-G')
[編集] コマーシャル
- 昭和産業(お釜にポン)
[編集] オクラホマにとっての恩人
[編集] 安田顕
- オクラホマにとって安田顕は恩人であり、頭の上がらない人物であると本人は言う。それは安田国王云々ではなく、2000年ごろに河野と藤尾がCREATIVE OFFICE CUEの見習い中にその勢いで大学を辞めて、見習い期間が終わって途方に暮れていたとき(特に藤尾は北大水産学部だったので函館の住まいを引き払って札幌へやってきた)、安田は自分の所属していた劇団への加入を勧めたからだと後々に語っている。
- ただ、初舞台で緊張している二人にビーフジャーキーを与えたり、舞台袖で紙コップに用を足すなど、安田顕の「謎の行動」に頭を悩ませている。
- 以前、河野は安田からの不在着信があったので、折り返し安田に電話をかけたところ、通話はできている状態なのだが応答がなかったという。後で安田に聞いてみたところ、「電話を受ける方の無言電話だ。(相手が)かけるのはあるけど、受ける方(相手、この場合は安田)の無言電話というのは新しいだろう。」と自慢げに仰った。
[編集] 大泉洋
- 大泉洋はオクラホマを「友達として(オフィスキューで)使ってくれないか」と社長にお願いした人物。したがって、オクラホマは大泉にも頭が上がらない。
[編集] その他
- 2005年8月27日から28日にかけて放送された24時間テレビ 「愛は地球を救う」にSTVローカルでゲスト出演。サライの大合唱でその姿が全国放送される。
- 同じく2005年の9月2日に開催された「COMPOSER クローズドサーキット」大阪会場のMCに抜擢されたことで、関西出身の彼らの凱旋が実現した。会場に藤尾と同郷の神崎郡香寺町の人がいて大はしゃぎだった。
- 藤尾はレポートになると普段よりも声が高くなる傾向にある。また空気を読まないことでも有名でありある番組で鈴井貴之がバンジージャンプを飛ぶ際、勝手に実況を始めたがスタッフは「やめてほしかった」と話しており、さらに鈴井からも「空気を読まない」と烙印を押されている。
- M-1グランプリ2005に挑戦するも、札幌での予選会で敗退。
- 大阪出身ではあるが、河野はたびたび札幌ドームで行われる北海道日本ハムファイターズの試合で目撃される。その特異な体型、髪、眼鏡からか、目立ってしまう様だ。
[編集] 河野の事務所「解雇」騒動
2006年6月29日、河野はドイツワールドカップ観戦から帰国し、事務所でデスクワークをしていた社長・鈴井に「やぁ、おかえりー!」と軽薄な挨拶をしながら社長室へドアを開けて、入室した。
ところが、鈴井は通常、ドアを閉めて仕事をする時は入室を拒絶しているサインであり、それを軽い「ノリ」で入室されたこと、また、以前から河野の素行・言動に頭を抱えていた鈴井は激怒し、河野を即日解雇した。…以上が全容である。
ただ、河野にしてみれば、直前の鈴井の日記が大変砕けた文体になっていたことから、軽い挨拶でも怒られないだろうと判断があった上に事務所のスタッフに社長への挨拶を促された事情もあった。
その後、鈴井はCUEオフィシャルホームページの「CUE DIARY」にて「冗談ですよ」と河野の解雇を否定しているが、藤尾を「藤男」とふざけて書いていることもあり、解雇取消の信憑性が疑われていた。しかし、普段から鈴井は所属タレントに対して「クビ」とジョークで宣告することがあり、河野も「許してもらった」と書き込んだことから、ブログ上の悪ふざけのつもりだったのが大騒ぎになってしまったというのが真相の様である。
ちなみに、同書き込みで河野は「百科事典みたいなサイトで検索すると、元タレントだの元オクラホマだの書かれていてさびしかった」とWikipediaで自身の内容を確認していたことを明らかにした。おそらく、これで河野も安心したと思われる。