エンゲルベルト・ケンペル
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エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer, ドイツ語読みでは -・ケンプファー、1651年9月16日 - 1716年11月2日)は、ドイツ北部レムゴー出身の医師、博物学者。
1690年(元禄3年)、オランダ商館付の医師として、約2年間出島に滞在した。1691年と1692年に連続して、江戸参府を経験し徳川綱吉にも謁見した。在日中、オランダ語通訳今村源右衛門の協力を得て精力的に資料を収集した。
1692年、離日してオランダのライデン大学で学んだ後、故郷に戻ると著述活動に取り組んだ。死後の1727年、ロンドンで出版された『日本誌』は、フランス語、オランダ語、ドイツ語にも訳され、ゲーテ、カント、ヴォルテール、モンテスキューらも愛読した。 著書の中で、日本には、聖職的皇帝(=天皇)と世俗的皇帝(=将軍)の「二人の支配者」がいると紹介した。
なお、姓のケンペルはオランダ語読みであり、日本での通称である。最近の研究書ではドイツ語読みのケンプファーで言及されることも多い。