エミリー・ブロンテ
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エミリー・ジェーン・ブロンテ(Emily Jane Brontë、1818年7月30日 - 1848年12月19日)は、イギリスの小説家、詩人。唯一の長編小説『嵐が丘』は、イギリス文学の古典として知られている。同じく作家である、姉のシャーロット、妹のアンとまとめてブロンテ姉妹と呼ばれる。
イギリスはヨークシャー・ソーントンに、牧師パトリック・ブロンテの四女として生まれる。1820年、一家はハワースに移り住み、エミリーはその地でさまざまな経験を培った。この間に母マライアと2人の姉を亡くしている。
1838年、ハリファクス近郊のローヒルで教師を勤めるが半年でやめる。1842年、姉のシャーロットと共にベルギー・ブリュッセルの私立学校に半年の間留学する。その後はハワースで暮らし、詩や散文の執筆にいそしむ。
1846年、シャーロットとアンの三人で詩集『カラー、エリス、アクトン・ベルの詩集』を自費出版した。当時の女性作家への偏見から、執筆時エミリーは「エリス・ベル」という男性風の偽名を使用していた。翌1847年、詩集の失敗から今度は三人は競うように小説を書き上げ、エミリーはエリス・ベル名義で『嵐が丘』を出版したが、当時の評判はかんばしくなかった。
そうした中で彼女は結核を患い、1848年12月19日に30歳の若さで死去した。『嵐が丘』の評価があがるのは、死去以降である。
墓地はイングランド・ウェストヨークシャー・ハワースの教会にある。また、ブロンテ姉妹が暮らしたハワースの牧師館は現在博物館となっている。