エニグマ変奏曲
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『エニグマ変奏曲』(エニグマへんそうきょく)または『“謎”変奏曲』(なぞへんそうきょく)は、エドワード・エルガーの管弦楽曲『創作主題に基づく変奏曲』(そうさくしゅだいにもとづくへんそうきょく、Variations on an Original Theme for orchestra)作品36の通称である。
1898年に作曲され、1899年7月19日にロンドンのセント・ジェームズ・ホールでハンス・リヒターの指揮により初演された。エルガーの大作の中で早くに成功を収めた一つであり、現在では、『チェロ協奏曲 ホ短調』や、行進曲『威風堂々』第1番と並んで、世界的に有名なエルガー作品の一つとなっている。また管弦楽のために作曲された単独の変奏曲のうちでは、ブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲』や、ラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲』と並んで重要である。
「作品中に描かれた友人たち」に献呈され、各変奏は、親しい友人たちの真心のこもった肖像画となっている。「エニグマ」すなわち「謎」とは、「この変奏曲は、主題とは別の、作品中に現われない謎の主題も使われている」とした、エルガー自身の発言に基づいている。「謎の主題」の意味を音楽的なものと解釈するなら、この謎は今も解けてはいないことになるが、譜面中に記された、数々の謎めいた文字のこととするならば、謎解きはすでにほぼ完了している。
目次 |
[編集] 前史
次のような逸話が伝えられている。
1898年のある日、教職活動に倦んでエルガーは、ピアノに向かって物思いにふけっていた。即興的な旋律の1つがアリス夫人の注意を惹き、「気に入ったのでもう1度繰り返して弾いてほしい」と頼まれて、エルガーは妻を喜ばせるために、その主題に基づいて即興的に変奏を弾き始め、各変奏を友人たちの音楽的肖像とした。これを管弦楽曲に膨らませたのが『エニグマ変奏曲』の出発点なのである。
[編集] 楽器編成
- フルート2(ピッコロ1持ち替え)
- オーボエ2
- クラリネット2
- ファゴット2
- コントラファゴット
- ホルン4
- トランペット3
- トロンボーン3
- テューバ
- ティンパニ(3台)
- タンブリン、トライアングル、大太鼓、シンバル
- オルガン(使用任意)
- 弦五部
[編集] 作品
演奏時間はおおよそ28分~31分。
二部形式による主題に、14の変奏が続く。変奏は主題の旋律線や和声、リズム的要素から飛躍し、最終変奏は大団円を作り出す。エルガーは、各変奏の譜面に、あたかも副題であるかのように、下記のような頭文字や愛称を記入した。これが、「作品中に描かれた友人たち」が誰であるのかを解く手懸かりとなった。
当時の肖像画の場合に同じく、エルガーの「音楽的肖像」は、対象を2つの水準によって描き出している。各楽章は、対照の人となりについての全般的な印象を伝えている。しかも楽章の大半は、個々人の目立った特徴や出来事にも触れているのである。
- 主題
- アンダンテ、ト短調。
- 第1変奏 L'istesso tempo "C.A.E."
- 作曲者の愛妻キャロライン・アリス・エルガー(Caroline Alice Elgar)の頭文字。
- 第2変奏 Allegro "H.D.S-P."
- ピアニストのヒュー・デイヴィッド・ステュアート=パウエル(Hew David Stuart-Powell)。エルガーとともに室内楽を演奏した。
- 第3変奏 Allegretto "R.B.T."
- リチャード・バクスター・タウンゼンド(Richard Baxter Townsend)。アマチュアの俳優・パントマイマー。声質や声域を自在に変えることが得意で、それが音楽にも反映されている。
- 第4変奏 Allegro di molto "W.M.B."
- グロスターシャー州ハスフィールドの地主で、ストークオントレントの開基に寄与したウィリアム・ミース・ベイカー(William Meath Baker)のこと。
- 第5変奏 Moderato "R.P.A."
- ピアニストのリチャード・P・アーノルド(Richard P. Arnold)、大詩人マシュー・アーノルドの息子。
- 第6変奏 Andantino "Ysobel"
- スペイン語風のイソベルとは、エルガーがヴィオラの愛弟子、イザベル・フィットン(Isabel Fitton)に付けた愛称。第6変奏でヴィオラ独奏が活躍するのはこのためである。
- 第7変奏 Presto "Troyte"
- 建築家アーサー・トロイト・グリフィス(Arthur Troyte Griffiths)のこと。ピアノを弾こうと頑張ったが、なかなか上達しなかったらしい。不向きなことに熱を上げるグリフィスの姿が描かれている。
- 第8変奏 Allegretto "W.N."
- ウィニフレッド・ノーベリー(Winifred Norbury)。エルガーからのんびり屋と看做されていたので、かなり打ち解けた雰囲気で描かれている。変奏の結びにおいて、ヴァイオリンの1音が、次の変奏に向けて引き伸ばされている。
- 第9変奏 Adagio "Nimrod"
- 「ニムロッド」とは、楽譜出版社ノヴェロに勤めるドイツ生まれのアウグスト・イェーガー(August Jaeger, 英語式にはオーガスタス・イェイガー)にエルガーが付けた愛称。ふつう英語の「ニムロッド」は、旧約聖書に登場する狩の名手「ニムロデ」を指すが、この愛称は、ドイツ語の“イェーガー”(Jäger)が「狩人」や「狙撃手」に通ずることにちなんでいる。エルガーは第9変奏において、イェーガーの気高い人柄を自分が感じたままに描き出そうとしただけでなく、2人で散策しながら、ベートーヴェンについて論じ合った一夜の雰囲気をも描き出そうとしたらしい。
- 第10変奏「間奏曲」 Allegretto "Dorabella"
- ドラベッラ(きれいなドラ)とは、ドーラ・ペニー(Dora Penny)の愛称。彼女はウィリアム・ベイカー(第4変奏)の義理の姪で、リチャード・タウンゼンド(第3変奏)の義理の姉妹にあたる。木管楽器は彼女の滑舌や笑い声の模倣であるとされる。
- 第11変奏 Allegro di molto "G.R.S."
- ヘレフォード大聖堂のオルガニスト、ジョージ・ロバートソン・シンクレア(George Robertson Sinclair)のことだが、つきつめて言うと音楽に描かれているのはシンクレアの飼い犬ダン(Dan)である。このブルドッグはワイ川に飛び込んだことがある。
- 第12変奏 Andante "B.G.N."
- ベイジル・G・ネヴィンソン(Basil G. Nevinson)は当時の著名なチェリスト。このためチェロが主旋律を奏でる。後にネヴィンソンに触発されて、エルガーは自作のチェロ協奏曲を作曲することになる。
- 第13変奏「ロマンツァ」 Moderato "* * *"
- 文字で示されていないため、人物を特定することは困難で、今なお真相は藪の中である。しかしながら、メンデルスゾーンの演奏会用序曲『静かな海と楽しい航海』(Meeresstille und glückliche Fahrt)からの引用楽句が含まれることから、当時オーストラリア大陸に向かって旅立ったメアリ・ライゴン夫人(Lady Mary Lygon)のことか、もしくはかつてのエルガーの婚約者で、1884年にニュージーランドに移民したヘレン・ウィーヴァー(Helen Weaver)のいずれではないかと推測されている。
- 第14変奏「終曲」 Allegro Presto "E.D.U."
- エルガー自身。E.D.U.はすなわち「エドゥー」(Edu)に通じ、これはアリス夫人がエルガーを呼ぶときの愛称であった。第1変奏と第9変奏の余響が聞き取れる。
[編集] エニグマとは
「エニグマ」とはラテン語で、「なぞなぞ」「謎かけ」「謎解き」ぐらいの意味である。第1の謎解きは、各変奏に描かれたエルガーの友人を明かすことであり、これは上記のようにかなりの精度をもって解決した。第2の謎解きは、「隠された主題」が何かである。
エルガーは手ずから、ピアノロールに録音されたピアノ版の『エニグマ変奏曲』に、簡単な解説を寄せている。しかし、すべての変奏の基盤となっている、もう1つの聞き取ることのできない主題が存在するとも述べている。本人曰く、
- その謎については説明しまい。その「陰の声」については想像できないようにしておこう。諸君に警告しておくが、変奏と主題の明らかなつながりは、しばしば、ごくわずかなテクスチュアの問題でしかない。もっと言えば、曲集全体を、もう1つのより大きな主題が貫いているのだが、それは演奏されないのである。(中略)かくて基本主題は、その後の展開においてさえ、決して登場せず、(中略)その主要な性格は決して表舞台には出てこない。
エルガーは、「隠された主題」がそれ自体、有名な旋律の変奏であるとも仄めかしている。仮説はいろいろ立ったものの、完全に合点がつくような謎解きは未だに1つも出されていない。英国国歌『国王陛下万歳』とする説、スコットランド民謡『蛍の光』であるとする説、『エニグマ変奏曲』の初演コンサートで一緒に演奏されたモーツァルトの「交響曲第38番『プラハ』」がそうだとする説、などである。あるいは「隠された主題」とは、『エニグマ変奏曲』中の他のいくつかの旋律と対旋律になりうるが、旋律線の形をとっていないもののことではないかとする向きもある。
こんにち有力な仮説は、「ルール・ブリタニア」の歌詞“never, never, never”に該当する部分であるとする説である。その楽句は、主題の最初の5音にはっきりと聞き取れるし、エルガー自身の記述にも、それを仄めかすような言葉、とりわけ「かくて基本主題は」以下の「決して……ない」(never)を繰り返すくだり、が見受けられるからである。
[編集] トリビア
1995年のロブ・デューガンのヒット曲『Clubbed To Death』(1999年に映画「マトリックス」に利用)のピアノ・パートは、『エニグマ変奏曲』の第1変奏から第12変奏までに基づいている。