ウォーエンブレム
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性別 | 牡 |
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毛色 | 青鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1999年2月20日 |
死没 | (現役種牡馬) |
父 | アワエンブレム |
母 | スウィーテストレディ |
生産 | チャールズ・ナッコルスJr&サンズ |
生国 | アメリカ合衆国 |
馬主 | ラッセル・レインマン →ザ・サラブレッドコーポレーション |
調教師 | フランク・スプリンガー(アメリカ) →ボブ・バファート(アメリカ) |
競走成績 | 13戦7勝 |
獲得賞金 | 3,491,000ドル |
ウォーエンブレム(War Emblem、1999年 - )はアメリカの競走馬である。 アメリカで二冠馬となり、2002年エクリプス賞3歳牡馬チャンピオンに選出された。引退後は種牡馬として日本に輸入された。
[編集] 戦績
2001年10月のメイドンでデビュー勝ちを収めているが、その後は勝ったり負けたりを繰り返す並の馬に過ぎなかった。それでも着々と力をつけ、2002年4月のイリノイダービー(米GII)を圧勝し、初重賞勝ちを飾る。このレースの後、サウジアラビアのサルマン殿下が代表を務めるザ・サラブレッドコーポレーションに90万ドル(約1億円)で購入され、ボブ・バファート厩舎へと転厩した。そうして臨んだケンタッキーダービーでは9番人気ながら4馬身差で快勝。次走プリークネスステークスにも勝利したが、三冠の期待がかかったベルモントステークスでは出遅れもあり8着と惨敗、三冠達成とはならなかった。その後はハスケル招待ハンデキャップでさらにGIタイトルを1つ積み上げるがそれ以降は勝てず、BCクラシック8着を最後に現役を引退、種牡馬となった。
[編集] 種牡馬
引退直後に社台グループが1700万ドル(約20億円)で購入し、シンジケートを組んだ(後に解散)。この年にサンデーサイレンスが死亡したこともありポストSSとして大きな期待が寄せられたが、ウォーエンブレムがほとんどの牝馬にまったく興味を示さず、7頭しか種付けに成功しなかった(誕生したのは4頭)。
同馬には大手保険会社4社の保険が掛けられていたが、うち3社が合意して約16億円の保険金が支払われた。(残りの1社は、種付けそのものが成功しているとして保険金の支払いを拒否した)
それでも関係者の懸命の努力により2004年には約50頭ほどの牝馬に種付けが出来たのだが、翌2005年には9頭と再び激減。2006年に至っては僅か1頭のみとなってしまい、ウォーエンブレムの種牡馬生命は危機的状況にある。
初年度産駒は2006年デビューし、JRA2頭目の出走でクランエンブレムが産駒初勝利を挙げた。
[編集] 血統表
ウォーエンブレムの血統 (ミスタープロスペクター系/アウトクロス) | |||
父
Our Emblem 1991 黒鹿毛 |
Mr.Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Dig | Nashua | ||
Sequence | |||
Personal Ensign 1984 鹿毛 |
Private Account | Damascus | |
Numbered Account | |||
Grecian Banner | Hoist the Flag | ||
Dorine | |||
母
Sweetest Lady 1990 鹿毛 |
Lord at War 1980 栗毛 |
General | Brigadier Gerard |
Mercuriale | |||
Luna de Miel | Con Brio | ||
Good Will | |||
Sweetest Roman 1977 鹿毛 |
The Pruner | Herbager | |
Punctilious | |||
I Also | Sky High | ||
Roman Song F-No.20-b |