イザベラ・デステ
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イザベラ・デステ(Isabella d'Este Gonzaga 1474年5月18日 - 1539年2月13日)は、イタリア・ルネサンス期のマントヴァ侯夫人。文芸を保護したことでも知られる。イザベッラ・デステとも表記される。
フェラーラのエステ家の出身。16歳でマントヴァ侯ゴンザーガ家のフランチェスコ・ゴンザーガ(フランチェスコ2世 1466-1519)のもとに嫁いだ。才色兼備で知られ、高い教養と外交手腕を持っていた。詩人アリオスト、画家マンテーニャをはじめ多くの文化人がイザベラを慕って集まり、マントヴァの宮廷に華やかなルネサンス文化が花開くことになった。弟のアルフォンソ・デステとは仲が良く、彼が悪名高いボルジャ家の娘のルクレツィアと結婚する話が出た時には、猛反対したという。
レオナルド・ダ・ヴィンチは1500年、マントヴァに立ち寄り、イザベラの素描を残している。「モナ・リザ」のモデルは、通説ではジョコンダ夫人とされるが、イザベラがモデルだとする研究者もいる。ティツィアーノもイザベラの肖像画を描いている。
- 妹のベアトリーチェはミラノのスフォルツァ家(イル・モーロ)に嫁ぐ。
- 弟のアルフォンソはフェラーラ公を継ぎ、のちにチェーザレ・ボルジャの妹ルクレツィアと結婚する(アルフォンソは2度目、ルクレツィアは3度目の結婚)。