アルバート・プホルス
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守備位置 | 一塁手 |
所属球団 | セントルイス・カージナルス |
背番号 | |
日本でのキャリア | N/A |
アメリカでのキャリア | 2001- |
誕生日 | 1980年1月16日 |
身長 | 190.5 cm |
体重 | 102 kg |
打席 | 右 |
投球 | 右 |
出身校 | メープルウッズ・コミュニティーカレッジ |
年俸 | $N/A |
出身地 | ドミニカ共和国サント・ドミンゴ |
前所属球団 | N/A |
MLBデビュー年 | 2001年4月2日 |
ニックネーム | N/A |
Template |
アルバート・プホルス、ホセ・アルベルト・プホルス(José Alberto "Albert" Pujols、1980年1月16日 - )はドミニカ共和国サント・ドミンゴ出身の野球選手。一塁手、右投右打。現在はアメリカメジャーリーグのセントルイス・カージナルス所属。
目次 |
[編集] 経歴
16歳のときに父親とともにドミニカ共和国からカンザスシティに引っ越す。1998年フォート・オーセージ高校を卒業。メープルウッズ・コミュニティーカレッジに奨学生として進学。1999年6月2日にカージナルスからドラフト13巡目で指名を受け、入団する。2000年には打率.314、19本塁打、96打点で最優秀マイナーリーグ選手として表彰される。
翌2001年にはメジャーデビューを果たし、打率.329、37本塁打、130打点という新人離れした成績により、満場一致でナ・リーグ新人王を獲得(同年のアメリカン・リーグの新人王はイチロー)。メジャー最高クラスの打撃技術と天性のパワーを兼ね備えており、メジャーリーグを代表する長距離砲として以降も毎年打撃三部門でトップクラスの数字を残している。デビューから6年連続で打率3割、本塁打30本、打点100、得点100を記録しているが、これは(2年連続の時点で)史上唯一の快挙であり、2006年現在も継続中である。そのためか、しばしば「三冠王に最も近い男」と呼ばれている。バリー・ボンズの衰えが顕著なって以降、大リーグにおいて最強の打者の一人と目されている。
2006年にはワールド・ベースボール・クラシックにドミニカ共和国代表として出場した(準決勝で対戦したキューバ代表について「今までの人生で最強の相手だ」と評している)。この年は開幕当初から例を見ない勢いで本塁打・打点を量産。42試合を消化した時点で打率.304・本塁打25本・打点65と、年間90本塁打・200打点のペースであったが開幕前から抱えていた腰痛が悪化。6月4日にDL入りし22日までの間休養したため大記録はお預けとなったものの、シーズンは打率.331・本塁打49・打点137という成績を残した。
メディアによって「プホルス」「プーホルス」「プーホールズ」など、様々な呼ばれ方をする。
[編集] 特徴
- 大きく広げたスタンスで60%の体重を軸足に残し、バットを上下に動かす独特のフォームが特徴。かつてはハイキックを用いていたと本人は話しているが、その後、止めている。スイング・スピードは飛び抜けて速く、通常のバッターよりも球の見極め時間が長い。ただ本人はそのスピードのせいで引っ張るバッティング中心となることを嫌っており、右ピッチャーに対して32 1/2オンスのバットを使うのに対し、見極め時間が長くなる左ピッチャーに対しては33オンスと重めのバットを選んで故意にスイングスピードを下げている。そのため、反対方向への強い打球も目立つ。そのスイングは「理想の体現」とも表現され、2006年5月22日付の米スポーツ雑誌スポーツ・イラストレイテッド誌には"A swing of beauty"と紹介された。
- 元々バッティングに関しては高度な技術と才能を持っていたが、選球眼も向上し、毎年四球数が伸びている。
- メジャー昇格当初は外野手や三塁手、遊撃手としても出場しており、ティノ・マルティネスの移籍に伴い、2004年から一塁手に固定された。コンバート時は動きの固さなどが指摘されたが、2006年にはゴールドグラブ賞を獲得するなど飛躍的に上達。打撃だけでなく、守備でもメジャー最高級であることを証明してみせた。
[編集] 特筆
- 2000年1月1日に結婚。妻のデイドルとの間に1男2女。長女のイザベラはダウン症児。夫人と前夫との間にできた子供で、プホルスにとっては義理の娘にあたる。2005年、プホルス一家はダウン症児とその家族の生活を支援するための基金を設立した。
- 毎年のように残すハイレベルな成績から一部でステロイド等の薬物疑惑も取りざたされているが、バリー・ボンズなどが絡んだいわゆる一連のBALCOスキャンダル以来強化された薬物検査においていまだに問題がない点、また本人が「毎日だって検査を受ける」と語っている点などから、可能性は低い。
[編集] 年度別成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 数 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
得 点 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
犠 打 |
犠 飛 |
併 殺 打 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2001 | STL | 161 | 590 | 194 | 47 | 4 | 37(11) | 130(5) | 112 | 69 | 6 | 9 | 93 | 1 | 7 | 21 | 1 | 3 | .329(6) | .403 | .610 | 1.013 |
2002 | STL | 157 | 590 | 185 | 40 | 2 | 34(10) | 127(2) | 118 | 72 | 13 | 9 | 69 | 0 | 4 | 20 | 2 | 4 | .314(7) | .394 | .561 | 0.955 |
2003 | STL | 157 | 591 | 212 | 51 | 1 | 43(4) | 124(4) | 137 | 79 | 12 | 10 | 65 | 0 | 5 | 13 | 5 | 1 | .359(1) | .439 | .667 | 1.106 |
2004 | STL | 154 | 592 | 196 | 51 | 2 | 46(2) | 123(3) | 133 | 84 | 12 | 7 | 52 | 0 | 9 | 21 | 5 | 5 | .331(5) | .415 | .657 | 1.072 |
2005 | STL | 161 | 591 | 195 | 38 | 2 | 41(3) | 117(2) | 129 | 97 | 27 | 9 | 65 | 0 | 3 | 19 | 16 | 2 | .330(2) | .430 | .609 | 1.039 |
2006 | STL | 143 | 535 | 177 | 33 | 1 | 49(2) | 137(2) | 119 | 92 | 28 | 4 | 50 | 0 | 3 | 20 | 7 | 2 | .331(3) | .431 | .671 | 1.102 |
通算 | 6年 | 933 | 3489 | 1159 | 260 | 12 | 250 | 758 | 748 | 493 | 98 | 48 | 394 | 1 | 31 | 114 | 36 | 15 | .332 | .419 | .629 | 1.047 |
※数字は2006年までのもの。( )内は打撃三部門のリーグ順位。太字はリーグ1位。
[編集] 外部リンク
2006 ワールド・ベースボール・クラシックドミニカ共和国代表 |
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15 サロモン・トーレス | 33 ホルヘ・ソーサ | 35 ダニエル・カブレラ | 38 ダマソ・マルテ | 40 バートロ・コロン | 41 フランシスコ・リリアーノ | 43 ミゲール・バティスタ | 47 ロビンソン・テヘダ | 51 ユーデ・ブリトー | 52 デュアネル・サンチェス | 53 フリアン・タバレス | 55 オダリス・ペレス | 56 フェルナンド・ロドニー| 15 ホワン・ブリトー | 22 アルベルト・カスティーヨ | 31 ロニー・ポーリノ | 2 プラシド・ポランコ | 5 アルバート・プホルス | 7 ペドロ・フェリス | 9 ホセ・レイエス | 10 ミゲール・テハダ | 20 ロニー・ベリアード | 29 エイドリアン・ベルトレ | 34 デービッド・オルティズ | 4 ウィリー・タベラス | 8 ルイス・ポローニャ | 18 モイセズ・アルー | 19 ホワン・エンカーナシオン | 26 ウィリー・モー・ペーニャ | 27 ブラディミール・ゲレーロ |
監督 マニー・アクタ | 項 | |