アリ・ダエイ
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アリ・ダエイ(アリー・ダーエイー、 ペルシア語 علی دائی Alī Dā'eī、1969年3月21日 - )は、イラン出身のサッカー選手。
イランのスポーツ界では英雄的存在の選手で、得点能力は非常に高く、アジア史上最高のストライカーとの呼び声も高い。国際Aマッチにおける通算109得点(2006年12月20日現在)は世界記録である。恵まれた体格と高い跳躍力を持ち、高い打点から打ち下ろすヘディングは脅威。ワールドカップ予選で日本人に与えたインパクトは強烈で、アメリカワールドカップのアジア最終予選対日本戦では決勝点となる2点目を記録し、フランスワールドカップのアジア最終予選、第三代表決定戦では、一時日本をリードする勝ち越しゴールを決めた。また、1999年9月の親善試合でもゴール正面のフリーキックを直接決めている。2006 FIFAワールドカップでもアジア予選得点王の結果を残し、イラン代表を2大会ぶり、自身2度目のワールドカップ出場に導いた。本大会にも出場したが、スピード、スタミナの不足を露呈し、不本意な結果に終わった。そのため、限界説もささやかれるようになっている。
[編集] エピソード
1994年の広島アジア大会で負傷し入院するが、その際に医師や看護師を始め多くの日本人が親切だったことに甚く感激して以来、大の親日家。2005年6月8日、イランがアジア最終予選通過を決めた際の「私は初めからイランと日本が(予選を)突破することを信じていた」とのコメントからもその親日家振りが伺える。
2005年6月、突然長かった独身生活にピリオドを打つ。
スポーツ用品の店「ダエイ」を経営しており、イラン代表のユニフォームは彼の店のブランドである。
[編集] 選手経歴
- ~95/96 ピルズィ・テヘラン(イラン)
- 96/97 アル・サッド(カタール)
- 97/98 アルミニア・ビーレフェルト(ドイツ) 25試合7得点(No.9)
- 98/99 バイエルン・ミュンヘン(ドイツ) 23試合6得点(No.24)
- 99/00 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 28試合3得点(No.9)
- 00/01 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 23試合3得点(No.9)
- 01/02 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 8試合(No.9)
- 02/03 アル・シャバブ(アラブ首長国連邦)
- 03/04 ピルズィ・テヘラン(イラン)
- 04/05 サバ・バッテリー(イラン)(No.13)
- 05/06 サバ・バッテリー(イラン)
- 06/07 サイパFC(イラン)※選手兼監督
- アジア年間最優秀選手賞
- 1999
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- 先代:
- 中田英寿
- 次代:
- ナワフ・アル・テミヤト
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