アサルトライフル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アサルトライフル (Assault rifle)、突撃銃(とつげきじゅう)とは、自動小銃の一形態で、主に軍用・軽量のものを指す。現代の軍隊においては、歩兵の標準的な小火器として広く運用されている。アメリカのM16、ロシアの(旧ソ連)AK-47などが有名である。陸上自衛隊においては、89式5.56mm小銃が該当する。
目次 |
[編集] 概要
アサルトライフルの定義ははっきりと定まっている訳ではないが、自動小銃の中で、おおむね次の要件を満たすものと考えられる。
- 小口径・中威力弾・(通常のライフル実包を使用しての)減薬弾(弱装弾とも)を使用していること。なお、本文解説中で「減薬弾」という言葉を用いるが、これはあくまで従来の強力なライフル弾に対して、という意味である。
- 単射(セミオート)と連射(フルオート)が選択できること(半自動小銃、軽機関銃、分隊支援火器と区別するため)。
- 小型、かつ軽量であること。近年のものでは、強化プラスチック部品(ABS樹脂など)を多用していることも多い。
半自動小銃は、いくらアサルトライフルに形態が似ていても、真にアサルトライフルと呼ぶことは正しくない。
大口径弾を採用すれば、それだけ銃と弾薬が重くなり、訓練や行軍に支障をきたす場合もある。しかし、敵の部隊に壊滅的なダメージを与えることになることで、軍の進軍に効果的。 軽機関銃の代わりに使うような場合も出てくるが、その場合は弾薬消耗や補給に問題が発生する。ひるがえって、市街戦や特殊作戦では短機関銃が重宝されるが、通常これらは拳銃弾を使用し、長距離での命中率は格段に落ちる。
こういった事情があり、軽量弾を使用し、かつ射程距離も取れるアサルトライフルは、軽機関銃や分隊支援火器と、短機関銃・拳銃の間に位置する、歩兵の標準武装としての地位を確立した。
名前の由来は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツがMP43/44(後述)に命名したドイツ語、Sturm (突撃・襲撃) + Gewehr (銃) の逐語訳であり、この形式の自動小銃が広まるにつれて、アサルトライフル(突撃銃)という呼び名も拡がった。
[編集] 歴史
[編集] 1900-1930年代:ライフル弾を使用する軽い自動小銃
- この年代は、アサルトライフルの概念はないが、その萌芽は見られた。
初期の自動小銃では、ライフル弾をそのまま使用していた。これらは運動エネルギー3,000-5,000Jの高威力、750-900m/sの高初速を持ち、銃弾の重さは9-13gであった。
アサルトライフルの概念に沿った最初の銃は、イタリア製のCei-Rigotti(en)と言われている。これは20世紀の初めに開発されたが、軍隊には供給されなかった。最初に実戦投入された、アサルトライフルの概念に沿った銃は、ロシア内戦で使用された1916年式フェデロフ・アブトマートと言われている。これは、有坂6.5mm×50弾を使用するものであったが、供給上の問題で、ごく少数が生産されたにとどまった。
第一次世界大戦から実戦投入されたブローニング自動小銃(BAR)は、7.62mm×63スプリングフィールド弾をそのまま使用したもので、単射の際の命中率と、制圧時の連射を期待して設計されたものであった。しかし、重量は7kg以上にも達し、接近戦には非常に不利であった。後期のモデルでは、より堅牢な銃身と二脚が取り付けられ、軽機関銃、または分隊支援火器の代わりに使用された。このBARは大量に生産・供給されたが、この銃では減薬弾は一切用いられず、短機関銃と重機関銃の中間に位置する銃として、軽機関銃の代わりとして使われ続けた。特にストッピングパワーを重視する海兵隊では、ベトナム戦争までこれを使い続けた。このBARをアサルトライフルと見なすことは難しく、一般的には自動小銃(兼、軽機関銃)と見なされている。
[編集] 1930年代:中間的な自動小銃
- この年代の自動・半自動小銃は、減薬弾を使用し始めた。これは後にアサルトライフルに結びつくこととなった。
個々の兵士に、ライフル弾よりは弱装で、短機関銃(威力が弱く、射程が短い)よりも威力があり、かつそれまでの自動小銃(重くて撃ちにくく、連射時の反動を抑えるのが難しい)よりも軽い銃を持たせる試みは、イタリアのベレッタ社が開発したM38A モスキート(MAB38 : Moschetto Automatico Beretta 1938)が解決した。M38Aは強力な9mmパラベラム弾、Fiocchi 9M38弾を使用し、他の短機関銃よりも射程を長くすることに成功した(有効射程は200m、公表値500m)。これによりM38Aは多用途武器となった。ただし、一般的には短機関銃に分類されることが多い。
第二次世界大戦直前の1938年には、アメリカがM1ガーランドよりも減薬弾を用いる、M1カービンを開発した(M1ガーランドは7.62mm×63、M1カービンは7.62mm×33)。もともとは連射もできるように設計していたが、最初のバージョンではこれは省略され、後のM2カービン・M3カービンで選択可能となった。M1カービンは、短機関銃よりは強く、BARよりは弱い威力を持つ.30カービン弾を使用したが、これは後に他のサブマシンガンや拳銃にも使用された。457mmの銃身は、短機関銃よりも高初速を得ることができたし、近接戦闘にも向いていた。M1カービンは、減薬弾を使用した最初の量産銃となり、100万丁以上が製造され、 初期の自衛隊でも米軍に配給された。 今では、M16などに交換されたが、海兵隊を中心に、この銃を使い続けた部隊もあった。
[編集] 1940-1950年代:MP・StGシリーズ、AK-47の登場
- この年代、すなわち第二次世界大戦中・戦後に、ドイツのStG44によりアサルトライフルの基本概念が確立された。より強力で尖った弾薬を用いた。口径はライフル弾と変わらないが、短く軽い弾頭にもかかわらず装薬は少なくなかった。運動エネルギーは1,400-2,100J、初速は600-800m/s、弾薬重量は7-9g。
第一次世界大戦でドイツ(や、他の参戦国)が、貴重な教訓として学び取ったことの一つに、「弾薬に種類がありすぎると工場や補給に混乱が生じる」という点があった。このため、新開発の銃やその弾薬は、既存の弾薬の口径に合わせる形をとった。最初に使用されたのは8mm×57 JS弾と、8mmモーゼル弾であった。モーゼル弾を短くした7.92mm×30弾が製造に最も適していたが、1941年に7.92mm×33 Infanterie Kurz Patroneに改良された(Kurz=短い)。1942年にはさらにMaschinenkarabiner Patrone Sに改良され、1943年にはPistolen Patrone 43mE、最終的にはInfanterie Kurz Patrone 43となった。これらの多数の名前は、StG44の設計製造に混乱をもたらした。1942年、ワルサー社がMKb42(W)(MKbはMachinenkarabiner:機関騎兵銃から)を提出し、同年、ハーネル社が MKb42(H) を提出した。ヒューゴ・シュマイザーがこれらの設計を統括した。この時、並行してヘルマン・ゲーリングが開発を指示していたラインメタル社のFG42は、全く別の設計思想に基づいていた。これは大きく重い8mm×57弾を使用し、減薬弾を使っていなかった(ただし、FG42 は高価な失敗作と見なされている)。翻って MKb 計画では、東部戦線における実戦テストの結果、MKb42(H)が採用されることとなり、シュマイザーはこれを MP43、MP43/1、最終的には MP44 と、名前と細部のみ異なる武器として開発していった。その理由については、アドルフ・ヒトラーが当初この武器の有効性に気付かず、弾薬が混在して生産現場と兵站を混乱させるとして、生産を許可しなかった点がある。これに対して、Mkb42(H)系の有効性を信じるシュマイザーは短機関銃(MP:マシーネン・ピストーレ)と称して、ほぼ同じものを密かに開発続行した。その後、東部戦線からの追加配備を求める声でヒトラーは命令無視を知ったが、同時にその有効性を認めて、改めて突撃銃(Sturmgewehr)と命名した。MP44 は StG44 と改称されて一気に量産体制に移され、次々に東部戦線に送られた。この経緯の詳細についてはStG44 の項を参照されたい。StG44 を初の本格的アサルトライフルとする意見も少なくないが、「戦場におけるアサルトライフルの概念を確立した」とする見解が一般的である。
ソビエトでは、ミハイル・カラシニコフが AK-47 を開発したが、これは StG44 とメカニズムは異なるものの、設計思想は概ね StG44 を踏襲したものであった。弾薬は7.62mm×39弾を使用したが、これは第二次世界大戦中に別の武器で使用されるはずだった弾薬である。流用した結果、AK-47 に適したものであることが判明した。弾薬は StG44 のものに類似しており、口径はライフルと同じであるものの、より軽い弾頭と減らした装薬、そして拳銃弾と比べて非常に尖った形をした、ライフル弾のような弾頭形状が採用された(ライフル弾の尖突形状が最初に実用化されたのは、1800年代のフランスのライフル用弾薬からである)。AK-47は、練度の低い兵が操作法を簡単に習得でき、多少がさつに扱っても確実に動作し、極地での使用にも耐えた。ただし、連射時の反動が激しく、命中率の点では見劣りするものであった(これを補うため、主要部隊にはSVDが配備された)。「本格的なアサルトライフルの始祖は AK-47 」とする意見が多い。
NATOで最初にフルサイズの7.62mm標準弾薬(いわゆるNATO弾)の標準化を策定した際、アサルトライフルへの使用を考慮して、減薬弾にすべきだという反対意見が多く出た。また、イギリスはEM2ブルパップ(口径7mm)用の弾薬を採用すべきだという意見を主張した。しかし、大口径・フルサイズの弾薬が採用されることとなり、またEM2は退役することとなった。
戦後のドイツでは、ヘッケラー&コッホ社(H&K)がG3を開発し、ドイツ連邦軍ほか多数に制式採用された。この銃は20発装填であるが、ローラー&ロッキング機構を採用し、高い信頼性と命中率を両立した。この機構はMP5シリーズにも採用され、GSG-9、SASほか各国の特殊部隊・対テロ部隊に「最も信頼のおける短機関銃」と評価された。
[編集] 1960-1970年代:より軽量な自動小銃と弾薬
- 要約:この年代のアサルトライフルは、小口径弾を採用することにより、銃弾だけでなく銃本体の軽量化にも成功した。しかし威力は決して落ちておらず、運動エネルギーは1,300-1,800J、初速は900-1,050m/s、弾薬重量は3-4gとなっている。
いくつかの先進国を除き、多数の国家が、射程500m以上の、伝統的かつ強力なライフル・自動小銃を開発し続けていた。この期間の設計の特徴は、小口径ながら高初速を実現する弾薬を使用し、フイラシェット弾(針形状騨)ほか、多様な種類の弾薬の実験も伴った。
アメリカ軍によって行われた、第二次世界大戦の戦闘に関する統計・調査研究は、歩兵部隊が300m(325ヤード)以上の距離で交戦することはまれであるという結論を明らかにした。また、ロシアでは、射手の有効な照準距離を超えた射程を持つ小銃を開発することを疑問視していた。従って、新たに軽量で、それほどパワフルでない弾薬が効果的であるとして開発された。これらの研究によって策定された弾薬は、軽量化、省スペース化され、歩兵に同じ重さ・スペースでより多くの弾薬を携行させることを可能とした。付け加えると、戦車や装甲車の乗員・前線にない要員(砲兵部隊など)・補助要員(後方支援部隊)の自衛用武器として、アサルトライフルを携行させることも可能となった。
NATOでは口径5.56mmの、いわゆる新NATO弾の開発を1960年代から始めた。アメリカはベトナム戦争に、M1ガーランドの最終発展型と言えるM14を投入していたが、政策の変更やジャングルでの取り回しの問題により、M16を開発して置き換えた。しかし、ベトナムのジャングルという過酷な環境で不具合が続出し、すぐに改良版のM16A1が登場した。1982年からはM16A2に置き換えられた。これらの弾薬が事実上の新NATO弾となった。
一方、ソビエトは独自の口径弾を開発し、これは5.45mm×39弾としてAK-74用弾薬に採用され、AK-47やAKMと置き換えられた。この後、AN94(en)や、イジェマッシ社製の各種後継版アサルトライフルでも採用されている(ビゾン(en)等を除く)。
これらの小口径弾(5.56mm)は、それまでの口径弾(7.62mm)に比べて、装薬が少なくなり、殺傷能力が劣ると見られていた。しかし、小口径と小弾頭が相まって、銃口初速はそれほど劣らない。このため、貫通力や弾頭の拡がり[*1]は変わらず、大口径銃と遅い弾薬(たとえば、大量に出回ってはいるが洗練されていないAK-47とその弾薬)と殺傷能力はさして変わらない、という結果となった。
[*1]ホローポイント弾などのような、弾頭が拡がるように設計された弾丸は、高速で軟繊維標的(つまり、人体)に命中した際に、大口径弾よりも深刻なダメージを与える。ただし、これらの弾頭は硬標的(鉄板など)には効果がない。
[編集] 1970,1980,1990年代:新しい形態と特徴
- 要約:この年代に開発されたアサルトライフルは、同じ弾薬を使用しているが、形態や素材が変化した。また、スコープが標準で取り付けられるものも出てきた。
5mm近辺(5.56mm、5.45mm)の小口径・高初速弾に移行したことで、アサルトライフルは新局面を迎え、形態や素材が大幅に変更され、また、標準でスコープ(光学照準)が取り付けられるようになってきた。多数のブルパップ方式アサルトライフルが開発され、1970年代から現在に至るまで多種・多数が実戦配備されている。
ブルパップ方式アサルトライフルは、薬室をグリップ(銃把)の後ろに位置させることで、銃全体をコンパクトにしながらも、バレル(銃身)を長くできるという利点を持っている。欠点として、重心が銃の後ろに来てしまうので、とっさに構えにくいという点と、マガジンを交換しにくいという点がある。
ブルパップ方式は、1930年代のイギリス・EM2で導入され、最初に実戦投入された。しかし、本格的に採用されるようになったのは1970年代後半からである。
- フランス陸軍がFA-MASを採用(1977年、バイポッド付き)
- オーストリア陸軍がstg77(ステアーAUG)を採用(1977年、スコープ付き)
- イギリス陸軍がL85 (SA80)を採用(1985年、スコープ付き)
これらのブルパップ方式アサルトライフルは、合成繊維や強化プラスチックなどの複合材料を多用し、両手利きに対応しており、いくつかは短い照準線長を補うとともに照準を容易にするため低倍率のスコープを標準装備している。他にも、シンガポールのSAR-21 (en)、イスラエルのTavor TAR-21 (en)、中国のQBZ-95 (en)、フィンランドのM82 (en)、イランのKhaybar KH2002(en)がある。
1990年代の終わりに、ドイツとスペインが共同開発したHK G36 (en)は、ブルパップ方式ではない伝統的な形式のアサルトライフルだが、スコープを内蔵しており、複合材料を多用している。G36を元に開発されたXM8 (en)は、内蔵式レーザーサイトとレーザーポインタ、残弾数カウンタといった電子装備を導入しており、アメリカ軍への採用を働きかけたが、2005年10月末にXM8計画はキャンセルされた。
陸上自衛隊では長らく64式7.62mm小銃を使用してきたが、89式5.56mm小銃を開発し、置き換えが進んでいる。これもブルパップ方式ではなく、伝統的なデザインである。弾薬と弾倉はアメリカ軍のM16A2と互換性があるが、通常配備の89式弾薬は新NATO弾の減薬弾となっている。64式でも減薬弾を使用していたが、これは日本人の体格に合わせるためと、日本の地形的・地理的な事情から言っても、射程はそれほど必要ないとの判断がある。プレス加工と木材を使用していた64式小銃の4.3kgに対して、複合材料を使用した89式小銃は3.5kgと軽量化が図られている。命中精度は決して劣っていないと言われている。どちらにも二脚が標準装備されているが、スコープは標準装備ではない。
設計のトレンドは、従来オプションであったスコープなどの内蔵、複合材料と設計の刷新を併用した軽量化に移行しつつある。計画を策定する者は、新しい弾薬の製造について、従来の弾薬備蓄を段階的に減らす必要があり、工場の製造ラインの大幅な変更を伴い、かつ総合的なインフラの変更を伴うことを考慮させられる。このため、多くの国では弾薬を他国(主に新NATO弾)と共通化することとなった。
殺傷能力の向上のため、初速と弾頭重量を保ちつつ、弾薬の口径を6-7mmに上げ直す動きがある。以前の大口径で遅い弾薬と、現在の小口径で速い弾薬との間を取る試みと見られる。中国は1980年代の終わりに5.8mm×42弾を開発した。銃口初速930m/s、弾頭重量4.26g、運動エネルギー1,842Jで、中国はこの新しい弾薬について、新NATO弾やロシアの小口径弾よりも高性能で殺傷能力が高いと主張している。
ドイツでは1970-1980年代にかけて、4.73mmケースレス弾(ケース=金属製薬莢がなく、弾薬で成形してある)と、その弾薬を用いる新しいアサルトライフルH&K G11 (en)を開発していたが、この計画は1990年の東西ドイツ再統一により凍結され、量産に移ることはなかった。
[編集] 政治的事情
現在制式採用されているAKシリーズ(AK-47、AK-74など)は、ドイツのMP43/44(StG44)を参考に開発されたものである。ただし、ソ連がこの種の兵器を模索し始めたのは、アサルトライフルの始祖となる、小口径の6.5mmアリサカ弾を使用するフェデロフの設計したものが遙か以前にあり、次期歩兵用小火器用の短小弾である7.62mm×39弾の開発が始まったのは1939年であったことを考えれば、実際には当時の主要各国がアサルトライフルに至る歩兵用小火器の模索をほぼ同時期には開始していたと考えることができる。
当時、米軍も既に先行し、西側各国軍に広く採用され始めていたFN FALをT48E1として米国内で限定生産(2,000挺)した上で、比較試験を実施しているので、米国国産品主義に凝り固まっていたわけではなく、自由主義国家圏内製品で比較検討するだけの見識は持っていたとも言えよう。結果的に、M14が制式化されたことに「政治的配慮」があったかどうかは、別の問題である。
T48E1のため整備された米国製FALの製造設備は、その後"CIA FAL"の製造に転用・活用され「生産国の定かでないFAL系の銃がキューバ侵攻事件の際などに使用された」とされており、これも政治に翻弄された例と言えよう。M14との比較検討試験のために国内生産までしたのは、実は生産国不詳の優秀な自動小銃(FAL)を、親米政府や親米反政府組織に便利に供与するための布石であり、米軍制式小銃として採用するつもりは最初から無かったったとの見方もある。
[編集] 備考
- 本項目では便宜上、「大口径」を7.62mmなどの従来の弾薬に、「小口径」を5.56mmなどの現在主力の弾薬にあてはめている。しかし、拳銃弾(短機関銃も使用する)はもっと口径の大きい9mm弾を使用している。また、重機関銃や対物ライフルでは口径12.7mm以上のものが多い。従って、何を基準に大口径・小口径と呼ぶかについては、対象の範囲(薬莢、装薬、弾頭を含めた弾薬の体積)などの弾薬そのもののにより異なることに留意されたい。
- バトルライフルという単語もある。この単語は、アサルトライフルとも被る点が多いが、以前主力であった大口径(7.62mm)の、アサルトライフルに分類しにくい(または、できない)戦闘用のライフルを指す。M1ガーランド(アメリカ)やSVT-40(ソビエト)などがこのように呼ばれる。また、両方の名で呼ばれる銃もある。G3(ドイツ)、FN FAL(ベルギー)など。M14(USA)もカテゴリー的にはアサルトライフルではあるが、現在はその用途上、こちらの名称で呼ばれることが多い。