ちゃっきり節
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ちゃっきり節(‐ぶし)は、北原白秋作詞、町田嘉章作曲の歌曲。現在では静岡県民謡と見なされるようにもなっている。
歌は30番まであり、静岡県内各地の地名・方言がふんだんに盛り込まれている。
[編集] 由来
1927年(昭和2年)、静岡市近郊に開園した狐ヶ崎遊園地(後の狐ヶ崎ヤングランド 1993年閉園)のコマーシャルソングとして、静岡電気鉄道(現・静岡鉄道)の依頼によって制作された。
大正時代から昭和時代初期にかけては、地域おこしや観光宣伝のため、旧来からの民謡を広く紹介し、あるいはPRソングとして民謡風の新曲を作るなどの動きが日本の各地で見られた。ちゃっきり節もその一つである。
静岡電鉄は当時すでに名のある詩人であった白秋に懇請して作詞を引き受けさせたが、取材のため静岡を訪れた白秋は、静岡の花柳地・二丁町で芸者遊びを続け、一向に詩作に取りかかろうとしなかった。豪遊続きの長逗留に電鉄会社側が作詞依頼の取り下げも検討し始めた頃、老妓の方言によるふとした一言にインスピレーションを得て、白秋は長大な歌詞を書き上げたという。
作曲者の町田嘉章(1888年-1981年)は、邦楽作曲家で民謡の研究家でもあるが、白秋の知人であったことからその推挙により「ちゃっきり節」の作曲を引き受けることになった。
この曲は1927年11月に狐ヶ崎遊園地を会場として、同時に白秋・嘉章のコンビによって作られた「狐音頭」「新駿河節」と共に、地元芸妓衆の歌・踊りによって発表された。
翌1928年1月にはラジオ放送され、レコードも作られたが、地元静岡や、静岡系の芸妓が多く入っていた東京の花柳界などで歌われる程度で、「会津磐梯山」や「木曽節」などの民謡のごとく、戦前のラジオで全国的知名度を上げるまでには至らなかった。全国的に知られるようになったのは、芸妓から歌手に転身した市丸(1906年-1997年)の美声によるレコードが戦後にヒットして以後である。
現在では、作詞・作曲者のはっきりした「新民謡」でありながら、古くからの伝統的な静岡県民謡と誤認されるまでになっている。