せがわきり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
せがわ きり(本名:瀬川貴理 1971年12月9日 - )は東京都新宿区出身の日本のタレント・児童文学作家である。
国士舘大学在学中の1992年8月、少女時代(主として中学生・高校生時代)の思い出を綴ったエッセイ集「アジのひらきは栄養満点-キリちゃんのトーキョー少女日記-」を出版するが、その本の帯に野坂昭如が文を書いたことから「SPA!」1992年10月7日号の「中森文化新聞」(中森明夫が主宰していたコーナー。現在は終了)に取り上げられ、それを契機にタレント活動を開始した。
以後10年余りに渡ってテレビ番組のレポーターや司会、ラジオ番組のDJやアシスタントとして活躍したが、代表的な番組は何といっても「トゥナイト2」であろう。レポーターデビューは「トゥナイト」時代の1993年8月であるが、1999年10月に結婚のため「トゥナイト2」を降板するまでの約6年間主力レポーターとして活躍し続けた。ボーイッシュな風貌と物怖じしない性格が支持を集め、番組随一の人気レポーターになったが、彼女が降板してから約2年半で(他にも要因はあるが)「トゥナイト2」が終了したことを思えばその存在の大きさが伺える。
また、「トゥナイト2」を降板してからは児童文学作家としての活動を開始し、2000~2002年の3年間に4冊の本を出版しているが、2001年4月に出産を経験し、母親になったこともあって2003年以降は児童文学作家としての活動は休止している。
現在は同様の理由によりテレビ・ラジオのレギュラー番組も一切ないが、2005年に一人息子とのハワイ留学経験を綴った「WE MADE IT! ハワイ親子プチ留学-お金? 夫の理解!? 英語がダメ! をのりこえて-」を出版している。
資格マニアの一面があり、宅建にも合格した。
目次 |
[編集] 出演番組
[編集] テレビ
- トゥナイト(テレビ朝日系、1993年8月~1994年3月)
- トゥナイト2(テレビ朝日系、1994年4月~1999年10月)
- 天才てれびくんワイド(NHK教育テレビ)天てれ俳句道場(1999年4月~2000年3月)
- 将棋の時間(NHK教育テレビ)将棋講座(2000年4月~2000年9月)
[編集] ラジオ
- 高田文夫のラジオビバリー昼ズ(ニッポン放送、1994年10月~1996年9月)
- RADIO MAGAZINE WHAT'S IN?(JFN系、1996年4月~2001年4月、2001年6月~2004年3月)
※2001年4月~2001年6月は出産のため一時降板。代理はTOKYO FMの上田万由子アナウンサーが務めた。
[編集] 著作
- アジのひらきは栄養満点-キリちゃんのトーキョー少女日記-(1992年騎虎書房〔現:きこ書房〕刊)
- 新宿キッズ(1998年リヨン社刊)
- 学研の新・創作シリーズ 夏のむこうへ(2000年学習研究社刊)
- 学研の新・創作シリーズ 台風(2001年学習研究社刊)
- ブーアの森(2002年TOKYO FM出版刊)
※原作(文)をせがわきり、絵を忌野清志郎がそれぞれ担当。
- 学研の新・創作シリーズ 由美と美由のひみつ(2002年学習研究社刊)
- WE MADE IT! ハワイ親子プチ留学-お金? 夫の理解!? 英語がダメ! をのりこえて-(2005年VIENT刊)
[編集] CD
- ブーアの森へ(2002年avex trax)
※忌野清志郎のCDであるが、トラック2「ブーアの森(ドラマ)」で声の出演をしている。
[編集] 備考
- あまり知られていないことであるが、日本児童文学者協会新人賞に2度ノミネートされたことがある(第34回〔2001年度〕で「夏のむこうへ」、第35回〔2002年度〕で「台風」)。しかし、内容に問題があるという理由(「夏のむこうへ」は主人公の両親の職業や主人公が何度も転校を繰り返した理由を明らかにしなかったこと、「台風」はメッセージ性に乏しく、終わり方も中途半端な感じが否めなかったこと)からいずれも受賞を逃している(「夏のむこうへ」は最終選考で、「台風」は一次選考でそれぞれ落選)。惜しかったのは最終選考に残った第34回日本児童文学者協会新人賞で、当時出産を控えていたという事情はあったとしてももし受賞していればもう少し早く児童文学作家として活動していることが広く知られた可能性が高い。結局彼女が児童文学作家として活動していることが初めて大きく取り上げられたのは第34回日本児童文学者協会新人賞受賞を逃してから約8ヶ月後の2001年暮れに発売された「FLASH」2002年1月1日・8日合併号の特集企画で彼女の近況が紹介されたことであった(余談だがその企画では「トゥナイト」・「トゥナイト2」関係ではそめやゆきこと玉利かおる、雪野智世も取り上げられている)。なお、非市販出版物では「日本児童文学」2001年5・6月号の「新人登場」コーナーで彼女が取り上げられている。
- 「ブーアの森」では雑誌やラジオ番組では大体彼女についてもきちんと触れていたが、テレビ番組(少なくとも2002年4月24日放送の「徹子の部屋」〔テレビ朝日系、その日のゲストは忌野清志郎〕と翌25日放送の「ズームイン!!SUPER」〔日本テレビ系〕)では全くと言って良いほど彼女に関しては取り上げず、「この絵本が好き! 2003年版」(平凡社刊)では「原作も忌野清志郎が書けば良かった」というコメントを記した人すらいた。この原因としては彼女が当時全く原作執筆動機(恐らくは出産を経験して母親になり、子供が生きていく未来に対する関心が高まったことであろう)を明らかにしなかったことが挙げられる。しかし、育児や子供の教育を優先するためにその後間もなく作家活動を休止したことや2度も日本児童文学者協会新人賞受賞を逃し、図書館や書店で彼女の著作を見かけることが少ないなど作家として確固たる地位を確立したとは言えないこと、更に当時の世相(環境問題も大切だが、アメリカ同時多発テロ事件〔2001年9月11日〕を契機に世界平和にも関心を寄せるべきだという意見が出る恐れがあったこと)を考えればあまり大っぴらに明かせなかったのが実情ではないのだろうか。賛否両論はあるが、この点に対して配慮に欠けた報道・評価が行われたのが残念である。