いすゞ・BU
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いすゞ・BUは、いすゞ自動車が1962~1980年にかけて製造・販売していた大型バスである。
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[編集] 国鉄向け試作車(1962年)
1962年、DH100型ターボ付きエンジン(230ps)を搭載したBU20PA型が作られ、国鉄に納入された。高速道路時代の到来に合わせ、高速路線バスとして運用するための試作車で、帝国車体工業製の車体が架装された。翌年発売となるBU10、20の試作車をベースとした試作車であった。
[編集] 第一世代(1963~1972年)
1963年2月、BC系に搭載していたDH100型エンジンを水平化したDH100H型エンジン(190ps)を搭載した路線用・観光用リアアンダーフロアエンジンバスとして登場した。ホイルベース5mのBU10、5.5mのBU20が設定され、エアサス車(型式末尾P)、ターボエンジン車(230ps)も設定されていた。車体は4灯式ヘッドライトが標準となり、BA以来と同一の標準ボディである川崎航空機のほか、富士重工、帝国車体工業、北村製作所が架装を行った。また、BU20Pをベースとして、DH100H型ターボ付きエンジン、高速仕様のファイナルギア、エアブレーキ、渦電流式リターダを装備した高速仕様車BU30Pも設定された。このBU30Pにはいすゞ自動車と川崎航空機が軽量高速仕様車体として1961年より研究していた軽合金製の川崎丸型車体が架装された。この車体は後に「オバQ」と呼ばれる独特の流線型と固定窓が特徴であった。
1965年にホイルベース5.2mのBU15が追加された。「オバQ」BU30Pの廉価版として鋼製車体、引き違い窓のBU15Pとして設定された。同年、川崎製の標準ボディがモデルチェンジされ、雨どいが前面から左右側面に流れる特徴的な処理で、上窓がHゴムで固定されたバス窓から2段サッシの窓が標準となった。上窓は下降式で開閉可能な物が標準であったが、廉価版として固定式の物も存在した。このボディには観光タイプも設定され、オバQの「丸型」に対して「角型」と呼ばれた。
1966年、マイナーチェンジによりホイルベース4.8mのBU05が追加された。BU05はBA30とホイルベースは同一であるが全長は長く、エンジンも出力が高い物となっている。 1967年には経済性を追求した直噴D920H型エンジン(175ps)搭載車(型式末尾D)、高出力型のE110H型エンジン(215ps)搭載車(型式末尾E)が追加された。同時にDH100H型エンジンも195psに出力が向上された。 1969年、BU05Dをベースに低床化を行った試作車を東京モーターショーに展示した。サスペンション構造の変更により床面高さを80cmとした。ボディは前面ガラスを平面2枚窓とし、方向幕・系統幕を一体化した横長の窓としたほか、前扉は左右に開くグライドスライドドアが採用された。翌年からBU06として量産された。 1970年に高出力型は直噴E120H型エンジン(250ps)を搭載した型式末尾Kに変更となり、型式末尾Eは廃止となった。
[編集] 第二世代(1972年~1980年)
1972年、車種の整理・追加とボディの変更を行った。軸重バランスの改善のため、全長とホイルベースは変わらずにフロントオーバーハングが長くなった。また、E120Hエンジンを260psに出力向上した。BU05とBU06は統合され、BU04となり、新たにホイルベース6mのBU35が追加となった(BU35を導入した事業者は奈良交通など地域的に偏っており、本来11m級を路線バス車両の主力としている北海道でも導入事業者は無かった)。
ボディは1969年の低床試作車と同様の前面スタイルを採用し、後面も屋根までの大型の平面二枚窓とした。後面方向幕を装備する場合は小型の平面2枚窓とした。なお前面の平面窓は1976年に曲面ガラスも選べるようになった。 観光タイプのボディは1973年に前面が傾斜した73SC型に変更になった。バンパー左右が上方に張り出してヘッドライトを囲む独特のデザインであった。
1980年に後継のC系発売にともない生産終了となった。
[編集] 電気バス(EU05型)
1972年、排気ガスや騒音による公害の抑制のため、いすゞ自動車、川崎重工業、富士電機、住友重機械工業、新神戸電機、湯浅電池が共同で開発した。航続距離を伸ばすため、サイリスタチョッパ制御とし、回生ブレーキも採用して電池の消費を抑制した。また、使用済み電池と充電済み電池を3分で交換する大掛かりな装置も考案された。BU05をベースとした2台が大阪市交通局に納入されて運行された。走行音が小さく、バスの接近が気づかれないほどであった。バッテリーのコストが高いことなどから後継車はなく、1982年に廃車となった。
[編集] ハイブリッドバス(EHCK480型)
1972年、電気バス同様に排気ガスや騒音による公害の抑制と、電気バスの航続距離延長のため、いすゞ自動車、川崎重工業、富士電機、古河電池、東京都交通局の共同開発により、4台が製造され東京都交通局で運行された。BU05をベースに3.3Lディーゼルエンジン(43ps)で交流発電機(27kVA)を駆動し、クラッド式鉛蓄電池(420V)に蓄電し、直流直巻モーター(158kW)を駆動した。発電は効率が良く排気の少ない状態での定回転で行い、負荷の少ないときは電池のみで運転した。また、ブレーキ時には回生ブレーキとして蓄電することで電池の消費を抑制していた。イニシャルコストが一般のディーゼルエンジン車の3倍であること、蓄電池が1年程度で寿命となることからランニングコストが4倍であることなどにより、実用は困難であるとの結論となった。1976年に2台が部品取りとなって運用を外れ、1978年には全て廃車となった。
[編集] 後継車
C系と呼ばれる。1980年、昭和54年排出ガス規制(K-)適合と共にBU系の後継として登場。1984年に後継車のLV系の登場に際して製造を終了している。形式はCで始まり、2文字目のJ又はP,Qが直噴式、Lが予燃焼室式、P又はQが高出力車、3文字目のMがリーフサス、Aがエアサス、末尾3桁の数字がホイールベースを示す。予燃焼室式エンジン搭載のCL系は納入が地域的に限られる。ホイールベースは4.7m(C○○470)、5.0m(C○○500)、5.2m(C○○520)、5.5m(C○○550)、6.0m(C○○600)の5種類。指定車体は川重車体工業で、BU系のボディを継承したが、前窓が傾斜していて上部の丸みが目立つ。また前面大型方向幕に対応し、屋根と一体になるような構造となっている。1983年には前面方向幕がLV系に似た平屋根ボディーが札幌市交通局の専用仕様として納入された(CJM520ベース、同局では1996年まで運用)。この他の架装例は、富士重工業、西日本車体工業、及び北村製作所がある。国鉄バス向けには日野車体工業(旧・帝国自工)製もあった。
- K-CJ系 搭載エンジン=6QA2形 出力=220PS 生産=1980~84年
- K-CL系 搭載エンジン=DH100H型 出力=195PS 生産=1980~83年?
- K-CP系 搭載エンジン=E120H形 出力=260PS 生産=1980~82年
- K-CQ系 搭載エンジン=6RB2形 出力=275PS 生産=1982~84年
[編集] ギア比
・OD(オーバードライブ付き)仕様--高速性能重視
一速:5.285 二速:3.195 三速:1.739 四速:1.000 五速:0.738 後退:5.005
・DD(直結ギア)仕様--加速性能重視
一速:5.687 二速:3.438 三速:1.871 四速:1.330 五速:1.000 後退:5.385
※標準の終減速比は5.571 なお、小田急バス・東急バス・国際興業では、基本がオーバードライブ付きながらも二速目・三速目が直結ギアと同じギア比のいわゆる「加速重視オーバードライブ」仕様なるものを採用していた時期があった。この例は後続の車種であるCJ・CL系にも見られる。
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